「産経新聞 11月13日(水) 7時55分配信」より

足尾鉱毒を告発した田中正造没後100年を記念し太田市が所蔵する「足尾鉱毒の図」が、来月17日から22日まで太田市飯塚町の市学習文化センターで公開される。「足尾鉱毒の図」は「原爆の図」の作者として知られる丸木位里(いり)、俊(とし)夫妻が描き、完成させた。平成14年に太田市が所蔵して以来、市民へのお披露目は初めてとなる。(平田浩一)

足尾鉱毒は、明治時代初期から群馬県と栃木県の渡良瀬川周辺で起きた足尾銅山の公害事件。栃木の政治家だった田中正造が中心となり国に問題を提起。製錬所は平成元年の足尾線廃止で貨物輸送ができなくなるまで操業が続けられた。だが、影響は現在でも残っている。

市によると、9月16日から17日にかけて、渡良瀬川の県企業局沢入発電所取水堰(せき)(みどり市東町)で台風接近時の1時間ごとに24回の水質検査を行ったところ、河川流量が増加するにつれ、「ヒ素」「亜鉛」「鉛」「カドミウム」の濃度が上がり、環境基準値を超えたという。ただ、河川流量が低下すれば基準値以内となり、市では「日常生活に影響はない」としている。

「足尾鉱毒の図」は水墨画6部からなる。第1部「足尾銅山」、第2部「押し出し」、第3部「渡良瀬の洪水」はいずれも掛け軸。第4部「直訴と女押し出し」、第5部「谷中村強制破壊」、第6部「谷中村野焼き」は、掛け軸の状態で所蔵していたが、縦約1・8メートル、幅約95センチの8枚の絵からなる屏風(びょうぶ)に直した。

全6部は丸木位里・俊夫妻が昭和62年?平成4年にかけて完成させた。作品は14年、美術関係者が渡良瀬川鉱毒根絶太田期成同盟会の板橋明治会長を通じて市に寄贈した。

太田市の清水聖義(まさよし)市長は「鉱毒の恐ろしさは原発事故と似たようなところがある。一度起こしたものは、すぐ終わらすことはできない。警戒心を喚起する必要がある」と話している。

入場無料。午前9時?午後5時(最終日の22日は同3時)。問い合わせは市環境政策課(電)0276・47・1893。