前弥六の元県職員で黒磯郷土史研究会会員の那須一郎さん(62)は、かつて那須野ケ原の水路・新田開発に努めた名代官の生涯を小説「水代官 山口鉄五郎」にまとめて発刊した。
地元でも半ば知る人ぞ知る人物に光を当てた根本さんは「民の力を信じ、自らは支援に徹した彼の姿勢に、現代人も学ぶところは多いはず」と話している。

山口鉄五郎(1748?1822年)は越後国蒲原(新潟県)の出身。幕府役人として利根川の河川改修や蝦夷地調査、勘定奉行職などを経て、田沼意次の失脚後、那須天領の代官を約30年間務めた。
那須野ケ原に残る用水路の一つ、山口堀を整備した人物として知られるが、明治期に造られた那須疏水の陰になり今では隠れがちな存在という。市出身の根本さんは公務員として大規模な公共工事などに携わる中、鉄五郎の業績や政治姿勢に強い関心を抱き、小説化を思い立った。

山口堀は那須地区の本流である那珂川から取水せず、既存の「穴沢用水」を拡幅して整備された。根本さんによると、那珂川からの取水は江戸初期に一度失敗しており「鉄五郎は農民の生活を考え、リスクの低い手法を選んだ」と評価する。
山口掘の整備は、天明の飢饉で打撃を受けた農業人口を回復させる受け皿づくりに貢献したという。小説ではこうした事業や「無軽民事(民を軽視してはいけないという意味)」の刻印を使い、この信念を実践した鉄五郎の治世や生い立ちなどを丹念に描写している。

下野新聞SOONより)